達人に聞く、「カラーデザイン」の話。【ひびのこづえ氏編#3】中村勘三郎さんとの出会い
国際カラーデザイン協会のシニアカラーデザインマスター桜井輝子が各界の達人を訪ね、「カラーデザイン」にまつわるあれこれをインタビュー。ここでしか聞けない、とっておきの話をご紹介します。
ひびの こづえ 氏 Hibino Kodue
コスチューム・アーティスト
1958年静岡県生まれ。1982年東京藝術大学美術学部デザイン科視覚伝達デザイン卒業。1988年のデビュー以来、舞台、テレビ番組、CM、広告、ダンス、バレエ、映画など幅広い分野で独自のコスチュームを制作。その他にも、ひびのこづえブランドとしてハンカチやバッグをはじめとした雑貨の商品開発を行っている。1984年、日本グラフィック展・奨励賞受賞。1989年、日本グラフィック展・年間作家新人賞受賞。1992年エイボン女性年度賞・エイボン芸術賞、毎日ファッション大賞・新人賞および資生堂奨励賞受賞、NHK「にほんごであそぼ」グッドデザイン賞大賞受賞。2007年タカシマヤ文化基金・タカシマヤ美術賞受賞。
コスチューム・アーティスト
1958年静岡県生まれ。1982年東京藝術大学美術学部デザイン科視覚伝達デザイン卒業。1988年のデビュー以来、舞台、テレビ番組、CM、広告、ダンス、バレエ、映画など幅広い分野で独自のコスチュームを制作。その他にも、ひびのこづえブランドとしてハンカチやバッグをはじめとした雑貨の商品開発を行っている。1984年、日本グラフィック展・奨励賞受賞。1989年、日本グラフィック展・年間作家新人賞受賞。1992年エイボン女性年度賞・エイボン芸術賞、毎日ファッション大賞・新人賞および資生堂奨励賞受賞、NHK「にほんごであそぼ」グッドデザイン賞大賞受賞。2007年タカシマヤ文化基金・タカシマヤ美術賞受賞。
取材日/場所:2017年3月24日(金)/ひびのこづえ事務所(東京都港区)
- ひびのこづえ氏♯3
- 中村勘三郎さんとの出会い
- 舞台のお話もぜひお聞かせください。ひびのさんのお仕事の中では、割合としても多いのでしょうか?
- そうですね。この間終わった、宮沢りえさんと妻夫木聡さんが出演していた「足跡姫(あしあとひめ)」は、故中村勘三郎さんへのオマージュとしながら歌舞伎のルーツをストーリーのベースにしているので、いつもよりカラフルな色使いをさせて頂き、いっぱい挑戦する事が出来ました(笑)
舞台「足跡姫」(2017年公演)
舞台「足跡姫」衣装デザイン画
- 「足跡姫」の舞台でひびのさんが手がけられた衣装は、歌舞伎という伝統的なものに対する私たちの価値観を変えるきっかけになったかもしれませんね。
- うーん。どうでしょうね(笑)「足跡姫」は歌舞伎と言っても野田秀樹さんの現代演劇です。実は、歌舞伎そのものの衣装も何回か関わっています。中村勘三郎さんが、歌舞伎とは何の縁も無かった私をおもしろがって使ってみようと思ってくださって、コクーン歌舞伎の「三人吉三(さんにんきちさ)」に呼ばれました。
※編集部注…コクーン歌舞伎とは古典的な歌舞伎の演目に、現代風の演出を加えた新しい歌舞伎。東京都渋谷区にあるBunkamura内の劇場「シアターコクーン」で定期的に開催されている。
コクーン歌舞伎「三人吉三」(2014年公演)
- でも、その頃の歌舞伎は、とても閉鎖的で、その世界の人たちだけで作っていました。それが伝統だったのです。外部の人を使う事例がなく、勘三郎さんを始め役者さんたちは新しいものを見せようと私を応援してくださるのですが、長年そこで働いている人たちには、自分たちが培っていたものを壊されるという恐怖心があったかもしれません。
- 保守的な世界なんですね。
- そうですね。今まであまりにも外からの影響がなかったので。勘三郎さんは、それを危惧していたと思います。歌舞伎も、新しいことを試していかないと、いつか滅びてしまうという危機感を感じていたようで、その後、何回も新しい歌舞伎に関わらせて頂くことになりました。
今年(2017年)の2月、勘三郎さんのお孫さんたちが「門出二人桃太郎(かどんでふたりももたろう)」で歌舞伎の仲間入りを。そしてその祝い幕を描かせていただきました。衣装をプランするより緊張しました。
※編集部注…祝い幕(いわいまく)とは歌舞伎役者の襲名披露公演などを祝うための特別な幕。贔屓客やスポンサーが寄贈することから、祝儀幕、贈り幕と呼ぶこともある。
歌舞伎「門出二人桃太郎」祝い幕(2017年公演)
- カワイイ!しかし、カワイイだけじゃないのがすごいですね。私はひびのさんの作品を見るとすごく元気が出ます。色にパワーがあるんだということが感じ取れるんです。
- そう言って頂けると嬉しいです。祝幕は、勘三郎さんが襲名披露された時の裃(かみしも)のたまご色が私には印象的で。その色から着想を得てこの絵が生まれました。亡くなられた後も二人のお孫さんを守っていると感じるから。