なごや色さんぽ#24(最終回)【 名古屋色考 】

2019年07月16日 カラーコラム「なごや色さんぽ」

カラーデザインマスターによるカラーコラム『なごや色さんぽ』
愛知県、岐阜県、三重県と東海地方各所を巡ってきたカラーコラム『なごや色さんぽ』も、いよいよこの第24回目で最終回。スタート地点に立ち戻り、今や名古屋の顔ともいえる名古屋駅前の高層ビル群を眺めながら、「名古屋らしい色」について考えてみました。

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【 名古屋色考 】
「名古屋のイメージを単色で表すと?」と問われたら、あなたはどんな色を思い描きますか?
これはあくまでもカラーデザインの授業内でこの質問をした場合という前提のうえで、回答の多くは「金色(金のシャチホコ)」か「茶色(赤味噌、名古屋めし)」に集中します。

では、具体的なモノからのイメージではなく「名古屋そのものの(文化や人)のイメージは?」と質問を変えると、見事に彩度は下がって「灰色」か濁った色調の「中間色」が多数を占めるようになります。
その理由は・・・名古屋人の「わかりにくさ」だといいます。
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東海道新幹線で東から西へ旅する際、名古屋を少し過ぎた頃の車窓の景色を思い浮かべてください。通過する鉄橋の下に広がる、いわゆる「木曽三川(きそさんせん)」と呼ばれる木曽川、長良川、揖斐川の川幅の広さに目を奪われませんでしょうか?

名古屋が名古屋(なごや)と呼ばれるようになった17世紀初頭(江戸時代)、川には原則的に橋を架けることがなかったため、旅人は川越し人足(にんそく)に背負われて渡るしかなかったのですが、大井川でさえ「越すに越されぬ大井川」という言葉があるように、一級河川を3本も渡って越えるという旅は、あまりにも現実的なことではありませんでした。

では、「東海道」を行き来する旅人はどうしていたかというと、陸路ではなく、名古屋近郊にある「宮」の宿と三重県の「桑名」の宿をつなぐ海路を船で渡っていたのです。

そう!今や立派にJR東海道線には「名古屋駅」があるものの、その昔「東海道」と呼ばれる道は、名古屋の城下町をまったく通過してはいなかったのです。こんなに昔から「名古屋飛ばし」があったとは!

旅人(外の人)は名古屋城下には入ってこないから、名古屋の人(内の人)は旅人(外の人)と接することがなく、名古屋という文化圏はある意味で閉じた空間となり、その中にあって仲間うちで名古屋独自の文化を育んできたといえるのです。

「名古屋を色で表すと → 名古屋ってわかりにくい → だから灰色」と連想される背景には、個人的な考察ですが、上に述べたような文化的な背景があるのかもしれません。ひとたび名古屋を知り内の人になると、「住みやすい街」にイメージが変わることも、付け加えておきましょう。
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名古屋駅前に立ち並ぶ高層ビル群のシンプルでスタイリッシュなデザインにうっとり見とれている間に、そろそろ『なごや色さんぽ』の時間も終わりに近づいてきました。建築物に奇抜なデザインが少ないのは、名古屋人の堅実さの表れだそうです。

「わかりにくい」名古屋なら、ご当地以外のみな様には、知っていただきがいがあるというものです。カラーコラム『なごや色さんぽ』1回目からこの24回目まで、すべてアーカイブが残されます。機会があればまたお目通しいただき、今まで知らなかった名古屋の色をぜひ発見してくださいね!
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【 ご挨拶 】
カラーコラム『なごや色さんぽ』の企画を立てていた丁度その頃、テレビではドラマ『陸王』が絶賛放映中ということもあり、コラムが1回目から最終回までつつがなく継続できるようにとの願いをこめて、前のコラム担当者から次の担当者へ、順に駅伝の「たすきを渡していく」イメージを、企画に参加するメンバー全員に抱いてもらいました。
そして・・・次へ次へとたすきは順調につながれ・・・
本日7月16日(なないろの日)に、第24回目(最終回)を迎え、ゴールのテープを切ります。
長きにわたってコラムをお読みくださったみな様、また、私どものコラム企画に実現の場所を提供してくださった国際カラーデザイン協会(ICD)の関係者各位に、「Ⓒチームなごや」一同より、心からの感謝を申し上げます。またいつの日か、色をテーマにした別の企画で、みな様とお目もじできますことを楽しみにしております。
どうもありがとうございました!

 by シニアカラーデザインマスター[エグゼクティブ]
   国際カラーデザイン協会(ICD) 中部支部 支部長 平松里香