カラーを仕事にする方法Part.3-ふりむけば

平松氏、桜井氏、二神氏
桜井輝子プロフィール
二神弓子プロフィール
平松里香プロフィール

Part.3
ふりむけば

集合写真

平松 里香
今度は過去に戻って、今まで歩んでこられた道筋を教えていただきたいと思います。お二人とも、子ども時代はどんなお子さんでしたか?
桜井 輝子
今とほとんど変わらないと思います。ただ、人前で話すことが苦手だと思っていたので、今みたいに、多くの人の前に立って話をする人生になるとは思ってもいなかったです(笑)
平松 里香
それは驚きですね。その頃は何になりたいと思っていましたか?
桜井 輝子
カラーとは離れてしまうのですが、世界中を旅して現地の人と仲良くなって、現地の人の生活をレポートする仕事をしたいと思っていました。
二神 弓子
世界っていうところが、今と繋がっていますよね。何かきっかけがあったのでしょうか。

桜井先生

桜井 輝子
私が小学生の頃、当時TBSのアナウンサーだった見城美枝子さんがキャラバンカーに乗ってアメリカを横断するという番組をやっていたんですよ。毎朝そのテレビを楽しみにしていて、「私、こういうのがやりたい!」って家族に言ったんですよね。それを聞いた父が「こういう仕事はね、美人で頭が良くて英語が話せないとできないんだよ」って。それで「私にはどうも無理そうだ…」って早々に諦めちゃった(笑)
二神 弓子
大丈夫、ちゃんと美人で頭が良くて英語が話せる大人になってますよ(笑)
桜井 輝子
いやいや(笑)でも、本当は心の奥底では諦めていなかったんでしょうね。子育てが一段落して、「待ってました」とばかりスウェーデンに色彩留学しちゃうくらいですから!
平松 里香
これからは、カラーでますます世界と繋がっていけるんじゃないですか?
桜井 輝子
日本で会社を営んでおりますので、まずは私たちが生まれ育った日本の文化であったり、そのバックグラウンドである色に対する繊細な感性を大切に伝えていきたいと思います。二神さんが“ヒト”に対してだとすれば、私はどちらかといえば“モノやコト”を通して色を提案していくのがひとつの方向性なのかもしれません。
平松 里香
二神さんはいかがでしょう?将来、何になりたいと思っていましたか?
二神 弓子
何っていうのはなかったんですが、仕事をしたいって思っていました。自分で仕事をするというイメージがあって、中学生の時にはすでに会社経営したいと思っていました。
桜井 輝子
中学生で会社経営っていう発想はすごいですよ!
平松 里香
その思いがカラーに繋がったのはいつですか?
二神 弓子
若い頃モデルとして働いていたときに、女性の美しさであるとか、どうやってビジュアルを磨いていくのかを学んだんです。その時に、ウォーキングがありメイクがあり似合う服があり、女性ってこんなに変わるんだって実感して。その後1年くらいでモデルの仕事を辞めてOLになったのですが「世の中の女性はなんてもったいないことをしているんだ」って思ったんですよ。
平松 里香
世の中の女性は、あまり外見にかまっていないということですか?
二神 弓子
女の子ですから意識はあるんだけど、術を知らない方が多かったのかもしれませんね。メイクがうまくなかったり、ヘアスタイルやファッションがイマイチだったり。「もったいない、もったいない」と思っていました。女の子たちからアドバイスを求められることが多くて、そこで面白い仕事があるなと気づいたんです。じゃあ何を勉強すれば良いのか、メイクやウォーキングの勉強をし直すと同時に、カラーの勉強も始めました。カラーは、メイクであれヘアカラーであれファッション全般に繋がってくるものですから、絶対にはずせないですよね。
平松 里香
プロフィールを拝見して、二神さんはけっこう早くに起業していらっしゃると思ったんですが。
二神 弓子
起業って言っても最初は個人事業主、フリーランサーとして始めました。会社を辞めて2年ほどでアイシービーを設立し、はじめは一人でやっていましたね。
平松 里香
でも、多くの人は勉強して資格を取っても、なかなかその先の一歩が踏み出せないと思うのですが。

二神先生

二神 弓子
正直言って、最初はこの仕事だけでは食べていけませんでしたね。42歳まで独身だったので、家賃、光熱費、食費を自分で払わなければならず、最初の1、2年はアルバイトをしながら生計を立てていました。カラーの仕事だけではとてもじゃないけど、生活していくことができなかったです。
平松 里香
今に至っているには、何か理由があったはずですね?
二神 弓子
それは本当に、一歩一歩、少しずつの歩みです。やっとバイトしなくてもよくなったぞとか、やっとアルバイトを雇えるようになったぞとか、やっとオフィスを借りられるようになったぞとか、本当にひとつひとつで。

階段のないビルの3階に入っていた時に体を壊して入院して、退院してからも階段を登ることができずに、階段の前で途方にくれていたことがありました。その後、やっとエレベーターのあるビルに入れた時は本当に嬉しかったです。あとは、スタッフをやっと正社員にできた時のことも印象深いですね。苦しくて、どうしようっていう時もたくさんあったので、「これによって」ということではなく、ひとつひとつを乗り越えてようやく今の自分があるって感じですね。

平松 里香
苦しいって思ったときに、やめてしまう選択肢もあったかと思うのですが、やめないというモチベーションのもとになっているのはいったい何だったのでしょうか?
二神 弓子
人からやめることをすすめられるくらい苦しかった時期もあったのですが、やめると周囲の人に迷惑がかかるんですよね。ですから、やめないというよりも、「やめられない」っていうのが本当のところだったのかもしれません。
平松 里香
自分が苦しい状況で続けることよりも、やめて人に迷惑をかけることのほうがよっぽど辛かったのですね。
二神 弓子
そうですね。それに、やめてもお金を稼いで雨風しのげる場所で暮らしていかないといけないし、ギリギリのところまでしがみついてやっていくしかなかったというのもありましたね。経済的に支えてくれる人がいなかったのが逆によかったのかもしれません。
平松 里香
崖っぷちに自分を立たせて、落ちないようにっていう踏ん張りがあったのかもしれないですね。
桜井 輝子
カラーの仕事だけで食べていくのは厳しいですよね。実は私も、離婚した時に子どもがまだ小さな赤ちゃんだったので、どうしてもカラーの仕事で食べて行くことができず、一度カラーの世界を離れた時期があります。
平松 里香
桜井さんは、いつからどういった経緯でカラーの仕事を始められたのですか?
桜井 輝子
いちばん最初にカラーの仕事を始めたのは、24歳の時です。結婚をして、たまたま駅から近いマンションに住めることになったので、そこでパーソナルカラーのサロンを始めました。あとは、カルチャーセンターの講師もしていました。
平松 里香
ちょうどカラーが日本でブームになり始めた頃ですね。
桜井 輝子
はい。カラーの第一次ブームの頃ですね。そういう意味では珍しがられて重宝され、楽しく仕事してたんですけど、子どもが生まれてすぐの時期に色々とあって(笑)そこからが苦労の始まりで、やっぱり世の中そんなに甘くない。子どもは小さい、預けるにもお金がかかる、もうどうしようもない。それでカラーの仕事を一回やめました。もともと不動産会社で秘書をしていた経験があったので、そっちの業界に一旦戻りました。

当時カラーの仕事をしていた人たちは、お金を稼ぐという目的ではなく、自分の趣味の延長として優雅なサロン展開をしていた人が多かったと思います。私の場合はそこから完全に外れてしまい、何としても子どもを育てていかなければいけない母子家庭という状況だったので、5年くらいはカラーと全く関係のない仕事をしながら、「いつかきっかけがあれば、必ずカラーの世界に戻る!」と思っていました。その時に初めて、カラーの仕事が好きなんだって気がついた感じです。

二神 弓子
それがなかったら、今ほどの専門家にはなっていなかったかもしれない(笑)
桜井 輝子
そうかもしれません。今頃、優雅なサロンでケーキを食べながら、趣味としてカラーをやっていたかもしれないです(笑)
二神 弓子
何が幸いするかわからないものですね。
桜井 輝子
そうですね。あの頃は、どうしてもカラーの世界に戻りたいけど、食べるのもやっとじゃないですか。しょうがないから勉強して。勉強だったら本を一冊買って、コツコツ努力すれば資格は取れる。5年間でカラーに関するありとあらゆる資格を全部取りました。

平松先生

平松 里香
カラーの資格が全部取れる!というのはすごいことですし、カラーへの並々ならぬ情熱を感じます。
桜井 輝子
他に持っているものがなかったので、とにかく必死でした。自分を支えてくれる唯一のものが勉強でしたから。「これだけ頑張っているんだから、いつかはカラーの世界に戻れるよね」「いつかは神様がチャンスくれるよね」って、それを励みに頑張っていたんですね。だから私は、資格を否定しません。私にとってはひとつひとつの資格が心の支えだったり、自分への自信だったり、コンプレックスをフォローしてくれるものだったりするんですよね。
平松 里香
それでは、カラーの世界への再出発についてお聞かせください。
桜井 輝子
その後、生活が落ち着いてきた頃に、社会人教育を全国展開する会社にお世話になりました。私はその会社にとても魅力を感じていたので、人員の募集をしていないのに「カラーの知識を活かせる仕事はないでしょうか?」と問い合わせをしちゃったんです(笑)

運よく中途採用をして頂けることになり、再びカラーの世界に関わるようになりました。そこからは、もう水を得た魚のようにまっしぐらですね!最初は正社員としてフルタイムで数年間お世話になり、再び家庭の状況が変わったので、正社員から非常勤講師というスタイルで関わらせていただきつつ、少しずつ、少しずつ、パーソナルカラーやカラー講師以外の仕事を広げていった感じです。

平松 里香
その後、会社組織にした経緯というのは?すごく思い切りがありますよね。
桜井 輝子
いえいえ。株式会社にしたのは、長年お世話になっている税理士さんのアドバイスです。家庭のことが一段落して主婦として働く時間が減ったので、子どもが社会人になるのを見越して法人化しました。個人で小さくまとまるよりは、いろんな方と協力しながら大きなプロジェクトに取り組んだほうが、世の中の役に立つだろうと。それに、せっかく生まれてきたんだから、カラーコーディネーターという仕事を日本に確立させたいと思っています。そういうことに燃えちゃうんですよね。

インタビュー風景

一覧へ戻る

協会についてのお問い合わせはこちら

TEL 03-5925-6549平日11:00~18:00 (土日祝除く)